車内放送 (「仙台経済界」1999年 9-10月号掲載)
- 斎藤 徹
- 2020年8月15日
- 読了時間: 2分
「皆様にお願いします…体の不自由な方やお年寄りには席を譲り、なごやかな車内にしましょう」…。地下鉄で通勤していると毎日聞かされる車内放送です。 ところでパリで生活していた頃、同じようによく地下鉄を利用しました。6年前、当時1フラン20円として4000円弱で、地下鉄とバスの1ヶ月共通定期券が買え、市内であれば乗車距離にかかわらず乗り放題です。地下鉄は時間が正確なため、主に通勤者に利用され、中高年のご婦人方には、むしろ明るくきれいなバスが好まれていたようです。どちらの乗り物でも車内は意外に静かでした。話し声は当事者同士が聞こえる程度で、たまに大声を出す人がいても物乞いくらいなものです。車内放送も緊急時以外、停車地名を告げることさえ一切ありません。 そんな中で、何度かすがすがしい場面に巡り合うことができました。地下鉄でもバスでも、足元おぼつかない老人が乗ってきたり、車椅子の人が降りようとする時、どこからともなく誰かがざっと手を貸すのです。何か困っている人がいると必ず誰かが手助けしてくれるのです。その行為は何のためらいもなく一瞬のうちになされ、一通り事が済むとあとは何事もなかったかのように速やかに元に戻ります。この光景に出会うたび、私はいつもある種の新鮮さを感じたものでした。 もうひとつ、これは向こうで知り合ったスペイン人の話です。彼は将来、フランスで弁護士になろうとパリに来た法律の研究生でした。夏の旅行中、ある国のホテルでのこと。入り口に「マットで靴のほこりを落としてからお入りください」との注意書きが貼られていました。欧米では室内に土足で入るため、玄関のマットで靴の汚れをとることは常識になっています。彼もその指示に従いました。さてチェックインを済ませてエレベーターに乗ろうとすると、その扉にも「マットで…」が目に入ります。ずいぶん大切にされているホテルだと彼は思ったそうです。そしていよいよ部屋についた時、またもやそこにも同じものがありました。ここまでくると彼は意を決してもう一度外に出て、わざと靴にほこりをつけたまま部屋に入ったとのことです。 少し大げさな話かもしれませんが、不思議に共感できたことを覚えています。 人間のこころは微妙なものです。いくら自然に出る行為でも、ことさら押しつけられては、妙に意識したり、疑問や反感がつのるだけです。 そんなこともつゆ知らず、われわれの地下鉄では今日も例の車内放送が、皆にいつもの道徳を説いています。
「仙台経済界」1999年 9-10月号掲載
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