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リリー(仙台市医師会報 2020年3月号 No.667 掲載)

  • 執筆者の写真: 斎藤 徹
    斎藤 徹
  • 2020年9月5日
  • 読了時間: 4分

  私はリリーの頭部を両手で包み、ひたすら頬ずりしていた。鼻筋から後頭部へ、耳から口元へと、少しでも不安を取り除いてやりたい一心で。向かい合ってリリーを支えている看護婦さんも、横で注射をしている獣医さんの存在も気にならない。胸の芯からこみ上げてくるおえつを抑えるので精一杯だ。

 突然、診察台の上に立っていたリリーの腰が崩れ落ち、背中、上体も続いた。看護婦さんはリリーをそっと横にさせた。

 獣医さんは、リリーの前肢の血管につながったカテーテルから麻酔薬を注入し終え、シリンジをはずそうとしている。

 「今眠っている状態です。次に心臓を止める薬になります。よろしいですか?」

 一瞬頭の中が真っ白になった。そして静かに寝ているリリーの姿が目に映ってようやく言葉が出た。

 「もう痛みは感じてないのですね?」

 「そうです。楽になったでしょう」

 これでいいのだと思った。

 「よろしくお願いします」

 昨年12月22日、晴れた日曜日の昼過ぎ、まだ暖かさだけが残っているリリーを抱えて動物病院を出た。車に乗せるまでの間、腕の中のぐったりとなった体は異様に重く感じた。

 その日の前夜、犬たちを車で河原へ連れて行き、散歩を終えて帰ったのは9時をまわっていた。正月も近いし準備万端整えようと、ついでにトイレシーツを買い、給油、洗車をして、いつもより遅くなってしまった。

 フードを食べさせて一息入れようと思ったが、リリーが落ち着かない。ハウスに出たり入ったりする。寒いのかと思って敷物を厚くしても一向に変わらない。そのうちクークー鼻を鳴らし、ハアハアし出す。

 よく見ると左後肢を床につけていない。膝関節上部の腫瘍がパンパンに硬くなり、硬式テニスボールが半分埋まった状態だ。朝の散歩の後にはタオルで拭いてやりながら全身を見ており、今朝はこれほど大きな腫れはなかった。

 すぐに夜間動物救急病院に連絡を取り、車で向かった。診察してくれたのは若い獣医さんで、よく話を聞いてくれるがもどかしい。

 腫瘍が見つかり経過観察中に急変した旨を伝え、どうにか痛みを和らげてやりたいと訴えた。

 今できることは、鎮痛剤とステロイド剤の皮下注射で様子を見ることという。

 その後帰宅してからも注射の効果は見られず、リリーは鼻声を鳴らしながら私の後をついてくる。ハウスに入れて頭をなでてやると次第にウトウトするが、不意にハッとしたかのように起き上がっては出ようとする。その繰り返しが一晩続いた。

 振り返ると、左後肢の異常に気がついたのは10月の末。他にもいくつかある脂肪腫と同じものかと思っていたが、それが日増しに大きくなり、踵部の浮腫を来たして11月3日、かかりつけの獣医さんを受診した。  検査の結果「肥満細胞腫」と判明し、根本治療としては広範切除だと説明を受けた。つまり左後肢の切断ということになる。私としてはリリーの年齢を考え、できるだけ不安や恐怖を与えずそばで見守りたい。そこで対症療法として抗菌剤と消炎鎮痛剤で様子を見ることにした。  薬剤の効果は驚くほどで、翌日には腫れはすっかり引いた。ところがほっとしたのもつかの間、12月8日頃からまた少しずつ膨らみが目立ってくる。再度同じ処方を1週間出してもらったが、今回は一向に腫れが小さくならなかった。  同じ年の1月、14歳になるアフガンハウンドが苦しみの中で息を引き取った。その苦い経験が私には鮮明に残っている。レントゲンで手拳大の内臓腫瘍が発見された時はすでに手の施しようがなかった。二度と同じ繰り返しはしたくはない。

 結局私はリリーに安楽死の選択をした。

 13才3ケ月。

 病気知らずの気丈で利発なサルーキだった。

 年が明けて立春が過ぎた頃、ようやく悲しみが癒え、日常が戻ってきたような気がする。それでも今なお、犬たちへの後悔が絶えない。彼らが苦痛にある姿を見ているのも忍び難いが、安らかにと願って決めた選択も、思っていたほど容易に受け入れられるものではなかった。


(仙台市医師会報 2020年3月号 No.667 掲載)


 
 
 

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