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職人気質 (「仙台経済界」2002年 1-2月号掲載)

  • 執筆者の写真: 斎藤 徹
    斎藤 徹
  • 2020年8月15日
  • 読了時間: 2分

 パリに留学していた頃、トロカデロの裏通りに古い洗濯屋を見つけたことがあります。 くすんだ石造りの1階にあるその店は、ウィンドーの木枠に染物屋も意味する言葉が書かれていました。この国ではかつて染物屋が洗濯業を担っていたため、稀にそうした標示を使っているところがあるのです。扉を開けて中に入ると、おそらく仕事中だったのでしょう、エプロンをつけた婦人が奥から出てきました。間口はそれ程ではないものの奥行きがあり、そちらのほうに仕事場があるようです。  私は外の看板に惹かれて立ち寄った旨を伝えました。彼女の話によると、この店は曽祖父の代から続いているとのことです。機械化の波で維持するのが精一杯ながら、ひいきにしてくれる客のおかげでここまでやってきたと言います。  当時からの手法を引き継ぎ、ほとんどが手作業だと、手元にあったスカーフをとって広げました。そしてその縁の折り返しの部分をつまみあげ、そこがふっくらと丸みを帯びているのを指し、機械では生地がつぶれてできない本来の職人芸を見せてくれたのでした。  これは10年前のこと。イギリスで狂牛病が発生し、フランスでは英国産の牛や飼料の輸入を禁止して間もなく、ヨーロッパでの騒ぎがピークの頃です。今や狂牛病は日本へ上陸し、わが国でもおくればせながらの対応に力が注がれています。  狂牛病の原因は異常プリオンと呼ばれる特殊な蛋白質です。これが体内に入ると脳細胞が破壊され、神経麻痺などの症状を経ていずれは死に至ります。脳や内臓など、部位によっては食事を介して人間にも感染する可能性が示されています。  この病原蛋白質がどのようにして生じたのかはまだ不明ですが、少なくとも世界中に広まったのは餌に問題がありました。無駄なく成長を促そうとする目的で、牛の屑肉や骨は肉骨粉にして飼料へ再利用されており、その中に感染牛の部分が混入していたのです。草食動物であるはずの牛がいつの間にか共食いをさせられていたわけです。  狂牛病をめぐる連日の報道に接するたび、トロカデロの洗濯屋のことが頭をよぎります。 知った時期が偶然重なったというばかりでなく、合理性を求めた肉骨粉の発想と、信頼できる仕事を大切に守っている職人気質が対照的でなりません。飽食の時代と言われる昨今、科学技術の発展によるところは大きいものです。それだけに食品の安全性をあらためて考えてみる段階に来ていると思います。


「仙台経済界」2002年 1-2月号掲載

 
 
 

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