光の都 (「仙台経済界」1999年 1-2月号掲載)
- 斎藤 徹
- 2020年8月15日
- 読了時間: 2分
クリスマスの灯は本来、イエスの誕生を知らせる星を表すものだったらしい。かつてはもみの木の先端に飾られていたが、他の星々とあいまって装飾性を増し、街角の至る所で見られるようになった。 パリのシャンゼリゼでは戦後、大通りのプラタナス並木に無数の電球を灯したイルミネーションが飾り付けられている。以前、パリでクリスマスを迎えたことがあった。シャンゼリゼに歩いていける界隈に住んでいたので、よく家族で散歩に出かけた。凱旋門から初めてイルミネーションを見た時、果てしなく続く光の並木に感動したことを覚えている。片側5車線の車道を挟むその並木の外側には広い歩道があり、人があふれんばかりだ。さらに外側には赤や緑のひさしのカフェが暖かそうな店内を見せて並んでいる。 途中、一休みしようと通りすがりの一軒に入った。店の中もたくさんの人だ。片隅の小さなテーブルに落ち着き、子供達はココア、私と妻はコーヒーを頼んだ。さまざまな人がいて、さまざまな言葉が飛び交い、外にはイルミネーションが輝いている。とても良い雰囲気だった。ところが勘定を済ませる段階になって、値段が違っていることに気がついた。ギャルソンに確認すると、彼は値段の注意書きを差しながら、ノエルの特別料金だという。イルミネーションの寄付のため、この時期だけ割り増しになるそうだ。私は素直に納得してしまった。光輝く並木の感動と店内の雰囲気が料金より上回っていたのだった。 仙台の光のページェントも見応えがある。特に定禅寺通りのそれは圧巻で、毎年楽しみにしている。両側のけやきから天を覆うほどに光が散りばめられた中に入ると、まさに無数の星の世界に飛び込んだようだ。車道が広く並木の枝振りが違うシャンゼリゼではできない光景かもしれない。 そのような光景は、たとえ束の間でも私たちの「こころ」をリフレッシュさせる。日常の生活を一瞬忘れさせ、ふと新たな視点を与えてくれる。光に包まれたこの通りが、ぜひ多くの人々が楽しめる憩いのスポットとなってほしい。通りやビルのあちこちに喫茶店やレストランがもっとあれば、そしてそれが町並みに調和した雰囲気の良いものであれば、どんなに生活の潤いとなるだろう。何度も訪れてみたくなると、懐具合に多少無理がかかっても気にならないものである。 光のページェントは平成10年で13回目を数えたという。その維持はなかなか大変らしい。この美しい行事が年ごとに充実し、暮れの一時期、杜の都が光の都となるよう心から応援したい。
「仙台経済界」1999年 1-2月号掲載
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