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  • 執筆者の写真斎藤 徹

他人事? (「仙台経済界」2003年 3-4月号掲載)

 開業していると、いろいろな業種の人と接する機会がでてきます。先日もこんな事がありました。交渉が一段落したところで担当のフレッシュマンが「朝から晩まで悩みを聞いてばかりで大変ですね」と言います。単なるつなぎの言葉であったのでしょうが、私はこの他人事の問いかけに「かえって教えてもらうほうが多いですよ」と、何人かの患者さんを思い浮かべました。

 ある女性は月に一度同世代の婦人たちとのボランティア活動に参加しています。街路の掃除や施設での朗読をした後、皆で昼食をとりながらの雑談が楽しみになっているそうです。

 彼女は退職した夫との生活にイライラを募らせるばかりでした。夫が植木の世話など何か好きなことを持っていれば妥協できるらしいのですが、昼間からブラブラしていられるとうっとうしいと訴えます。子供たちは独立し、自分は更年期もどうにか過ぎたはずで、何も不足はないと言い聞かせながら胸に秘めてきたわけです。仕事一筋の夫に従い、家事と子育てに追われてきた人生を、夫の退職を機に振り返るようになったのでした。夫のノンビリさが目につくほどそれまでの反動が大きく揺れるそうです。

 明るく会話がはずんだのは何度目かの診察の時でした。抑えていた感情が自分だけではないことを知ったというのです。ボランティアメンバーの一人がふと漏らした夫婦関係の話題に他のメンバーも加わり、抱えていた悩みを心の底から発散できたようです。「これが一世代前なら当たり前なこととして気にとめなかったかもしれない」と彼女は続けます。「ところが男女の役割に性差がなくなりつつある今、自分たちの世代はどっちつかずのところにあり、同じ境遇の人たちとの触れ合いが積もった葛藤を噴出させる引き金になった」と説明してくれました。

 このように周囲との関わり合いが中心となって、患者さんが自ずと心の内に整理をつけていくケースは珍しくありません。回を重ねるごとに立ち直りを見せる彼女に、私は思わず立場を忘れて尋ねたことがあります。「ここに初めて来られるのに抵抗はありませんでしたか」。彼女は笑いました。「人間年取れば目が見えない、腰が痛い、物忘れする、いろいろ出てきます。皆どこか故障持ちになっていくんです。それが体でも心でも私には変わりありません」。


「仙台経済界」2003年 3-4月号掲載


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