「床屋にて」 (「仙台経済界」1998年 9-10月号掲載)
- 斎藤 徹
- 2020年8月15日
- 読了時間: 3分
気付いたのはある朝のことだった。頭の分け目の左側に地肌の見えているところがある。ドキンとした。円形脱毛だ。信じられずによく見ると、確かに100円玉ほどの部分の毛がない。少し前から分け目が広くなってきたようだったが、まさかと思っていた。しかしここまでくると決定的だ。ただ幸運にもそれは生え際の少し上にあり、てっぺんの方から毛をおろすと何とか隠せる。まずはそうして様子を見ることにした。 考えてみると、引っ越しや子供の転校、さらには翻訳中の原稿のまとめなどが重なっていた。疲れると胃腸にくることが多いので、そのほうを注意していたが、今回は頭をやられてしまった。知らぬ間にストレスがたまっていたのだろう。体は正直だ。 数日後、偶然に学生時代の友人から電話があった。ひととおり彼の用件が済んだ後で、ふと今回の脱毛の話になった。彼は驚いて、いかに私のストレスが限界に来ているかを説き、それを証明するかのように彼の知り合いの例まで聞かせてくれた。その知り合いというのも医者で、1年前に開業したという。準備に追われたためか、久しぶりに友人が会った時は既に、頭に毛が1本もなくなっていたそうだ。 最悪なことを聞いてしまった。果たして自分もそうなるのか?自然に抜けるならまだしも、突然というのは実に寂しい。皮膚科に診てもらおうか…でも原因がストレスなら…いろいろ考えた末、少しのんびり過ごしてみることにした。 ところが実際、脱毛の側に人が来るとそれを見られているようだし、風が吹くとその部分がことさら冷たく感じる。気になるとむしろ敏感になるものだ。こうしてすっきりしないままの日が続いた。 結局、この状態から抜け出たのは近所の床屋でのことだ。言わないわけにはいかず、椅子に座るなりこれまでのことを床屋の主人に伝えた。彼は慣れた手つきで私の頭の毛をかき分けながら問題の部分を確かめた。別に驚きもしない。そして事も無げに彼自身もなったと話し始めた。ちょうど彼が社会に出たばかりの頃で、はじめはびっくりしたらしいが、時の経過とともにいつの間にか毛が生えてきたという。 瞬間、私の気持ちはとても軽くなった。私と同じ体験をした人がいる。そしてその人はすっかり元通りになっている。 私は思った。床屋で精神療法を受けたのだ。ストレスを背負い込んでいたことは言われなくても十分に分かる。私に必要だったのは、私の悩みを理解してくれる人と、その悩みがいずれは解決するというところの支えだった。 意外なところで私は、共感と支持という精神療法の基本を、今回は身をもって学んだ。
「仙台経済界」1998年 9-10月号掲載
Comments