先日、テレビで「執事」についての番組を見た。18世紀のイギリス上流階級の家には、庭師や料理人、御者や乳母、さらには主人に手紙を届ける少年まで、いろいろな役割を果たす使用人がいた。それらの使用人の頂点に立つのが「執事」である。雇われた家の差配を一手に引き受け、常に冷静沈着、決して出しゃばらず、陰に徹する人物でなければならない。今でも養成する専門学校があり、その様子が紹介された。校長先生によれば、この仕事にふさわしい人間像とは、慎み深く、忠実かつ正直で、主人とその家族を第一に考える人、浪費をせず、新聞のしわをきちんととったり、最高の食材を買い求めることのできる人、要するに完璧を心がける人という。 ここまできて私は思わずある性格傾向を連想した。執事学校の先生には悪いが、うつ病になりやすい性格である。専門的には「メランコリータイプ」と呼ばれるもので、几帳面・他者への配慮・責任感・完璧主義といった言葉で代表される、いわゆる生真面目なタイプ。この種の人はその理想秩序の枠内で物事が運ばれるうちはいいが、調子が維持できなくなると自分を責めて落ち込んでいくといわれている。 少し深刻な話になってしまったが、真面目な人達が皆うつ病になるわけではなく、問題はその程度とさまざまな状況との絡み合いである。現にメランコリータイプに通じる特性が求められても、執事達は落ち込むどころかとても生き生きとしていた。 ところで、沖縄に住む100歳以上の長者者について興味深い資料を見つけた。琉球大学が過去20年にわたって調べたもので、長者者の性格傾向は同調性が高く明朗な一方、几帳面かつ仕事熱心で我が強いところもあり、若い時期から時間の切迫性が薄いそうだ。柔軟さやゆとりなどは、長寿というとよく取り上げられるので想像がつくが、意外にもそれらと対照的な面、この場合、生真面目ともとれる部分もある。他の面とともに全体としていい結果をもたらすのだろう。 イギリスの執事達には多くの苦労があると思われる。にもかかわらず、年齢を重ねるにつれむしろ誇りに輝く表情を見れば、沖縄の長者者達の性格と無関係ではないような気がする。執事に求められる真面目さの他にもいくつかの側面があり、釣り合いがとれているのではないか。プロだと思うのは、自分の特性をよく知り、積極的に活かしている点である。 大切なことは、持ち前の傾向を悲観せず、他の面と調和させながら、うまく活用することかもしれない。
「仙台経済界」1998年 11-12月号掲載