「ジャズフェス」より (「仙台経済界」2003年 11-12月号掲載)
- 斎藤 徹
- 2020年9月5日
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初秋の仙台を飾る「定禅寺ジャズフェスティバル」が今年も一層の盛り上りを見せました。去る9月13日から2日間行なわれたこのアマチュア音楽家の祭典は今回で13回目になります。ジャズばかりでなく、ロック、ゴスペル、ボサノヴァなど、580に上るグループが集まり、定禅寺通りをはじめ街の各所に設けられた即席ステージで演奏を披露しました。人垣の輪に入ればそれぞれの演奏者や歌い手の世界が耳に飛び込んで来ます。気の向くまま聞き歩いて行くうち、仙台に長く住む知人の話を思い出しました。
仙台の七夕は戦前、現在のものより一味違っていたそうです。中心街は通りの両側に店が並び、行き交う人々は2階から繰り広げられる出し物に足を止めました。飾り付けの向こうでは笛に太鼓のお囃子、こちらではひょっとこおかめの手踊り、少し歩けばからくり奇術など、各店ごとに笑いや歓声が響きます。
当時少年であった知人が今でもはっきり覚えているのは「分福茶釜」の人形芝居です。茶釜に化けて里におりて来た狸が世話になった古物屋に曲芸で恩返しをする物語です。狸の綱渡りが見せ場で、落ちそうで落ちない、見る者をはらはらさせながら細い綱を伝い歩く様は目を離せず、無事渡りきった時には大きな拍手が湧きました。
出し物は1年がかりで準備され、その年の七夕が終わるや店主達は翌年の構想に取り組み始め、それがひとつの心意気になっていたそうです。もはや当時の面影を見ることはできません。
10年程前、フランス政府は公共伝達におけるフランス語以外の言葉の使用を規制したことがあります。これは増える外来語から自国語の乱れを防ぐためのものでした。過激な政策に思えましたが、その説明が言い当てており印象に残っています。つまり、「文化は時を要し脆いもの、言語はその基盤となる故、保護せねばならない」。
言葉に限らず、文化を成すものは育てるには時間がかかり放置していては何時の間にか消えてしまいます。代代伝えられてきたもの、人々の心を動かすものは大切に守って行かなければなりません。「定禅寺ジャズフェスティバル」で音楽のはしごをしていると、かつて七夕の目玉であった出し物が姿を変えて蘇っているような気がしました。これからも多くの支えを得て、仙台発の音楽文化として発展して行くことを期待します。
「仙台経済界」2003年 11-12月号掲載

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