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  • 斎藤 徹

移転開業の胡蝶蘭(仙台市医師会青葉ブロック会報「あおば」2014年12月25日第24号掲載)

 14年前に新規開業したオフィスビルの一角が手狭になり、物件を探し始めたのは、震災前からのことでした。できれば近隣でとの希望が選択肢を狭めたせいか、見つけたかと思うと水道が引けなかったり、診療科目が理由で断られたりの繰り返しで、半ばあきらめかけていたところでした。

 青葉通り沿いに今春竣工した商業施設、シリウス・一番町の話が舞い込んだのは去年の11月のことです。本来は喜ぶべきはずですが、いざ希望が現実化すると躊躇してしまいます。特に還暦を迎えたばかりの年齢が今ひとつ踏み出す気にさせてくれません。結局家族の後押しも手伝って、もうひと頑張りすることに決めました。以降、慌ただしい準備期間を経てこの4月、移転開業に漕ぎ着いた次第です。

 こうしてあらためて、お祝いの届け物を頂くことになりました。鉢植えの植物が院内を飾り、中にはひときわ彩りを添える胡蝶蘭もあります。

 華やかな胡蝶蘭は、受付や診察室でよく話題にのぼったものです。それがしばらく経つと次第に花が落ち、葉が黄色くなってきました。新規開業の時には頂いた鉢を父が実家に持ち帰り、温室を作って世話をしていました。今はその父も他界し、このままでは皆枯らしてしまいそうです。何とか維持できないか考えた末、蘭を好きな方に差し上げることにしました。引き取り手が決まるたびに感謝の気持と安堵感を覚えます。それでも2鉢残り、花のない茎だけが寂しそうにうなだれています。

 ある日、胡蝶蘭の一鉢を引き取ってくださった患者さんが、植え替えた株から新芽が出てきたと嬉しそうに話してくれました。水苔を替え、日の当たらない場所に置き、毎日霧吹きで湿らして育てているそうです。残っている鉢のことを伝えると、植え替えの方法を教えてくれました。

 一鉢の中には3株がそれぞれ小さなプラスチック容器の中に詰め込まれています。一株を抜いてみると、水苔は黒くなり、白いミミズのような根がうねっていました。それを十分に水に戻した新しい水苔で包み、通気性のいい素焼きの鉢に植えます。一週間もすると水苔が乾いてくるので鉢ごと水に浸して上げ、直射日光を避けた室内に置くようにしました。

 茎の中央から薄い葉のような芽が見えたのは、植え替えて一ヶ月過ぎのことです。6株のうち、現在5株健在で4株に赤味がかった新芽が出ています。

 新規開業以来14年の時間は、患者さんとの関係性に意外な変化をもたらしてくれることがあるようです。診察というより日常の何気ない会話が増え、互いに新たな発見に出会います。

 街を歩いていて店頭で、これまで気にも留めなかった胡蝶蘭にふと目が行くようになりました。

 診察の合間に、日増しに緑が濃くなる、私の胡蝶蘭の新芽をながめるこの頃です。


(仙台市医師会青葉ブロック会報「あおば」2014年12月25日第24号掲載)


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