斎藤 徹
流れにまかれても (「仙台経済界」2009年11-12月号掲載)
*久しぶりの日本*
20年ぶりにフランスから帰国した知人と話す機会があった。彼女は仙台に来て仕事が本格始動するまで昼間、スポーツジムに通っている。最近ではグループヨガも始めたらしい。数人の生徒が、ひとりの指導者に倣って一斉に同じポーズをとり呼吸を整えるレッスンだ。その集まりで彼女は奇異な感覚を覚えたという。
グループのメンバーはみな溌剌としたご婦人ばかりで、毎回終了時、教室から出る度にそろって「お疲れさまでしたーっ」と叫ぶのだそうだ。それがどうしてもなじめないらしい。どこか軍隊を連想させてしまうようなのだ。
私たちにとって「お疲れさま」はごく普通のあいさつになっている。このあいさつに慣れてしまった私には何の抵抗もない。それが奇異に聞こえるとなると彼女の頭は西洋化してしまい、故郷の生活様式から遠く離れたままでいるのだろう。
まして個人主義の国フランスの生活となると、ものの考え方における違いは大きいに違いない。以前滞仏中、「日本人学校の運動会が、フランス人にとっては異様に見える」と聞いたことがある。おそらく誇張されたうわさと思われるが、彼らにとって身体発達の個人差が著しい子供たちを一緒に競争させる発想が理解できないらしいのだ。その話を聞いた時、私は一瞬不意をつかれたようで驚きを隠せなかった。かえってフランス人たちの指摘が、「なるほど」と思え、とても新鮮に感じられたものだった。
*久しぶりの小学生*
最近になってある日の夕方、何気なくテレビをつけると思わず見入ってしまった。テレビ局を見学した小学生が自分たちの学校を紹介している。ひな壇に整然と並んで直立不動、口を大きくぱくぱくさせ、こちらに向かってしゃべっている。
「私たちの学校はー、緑に囲まれたー」と、生徒ひとり一フレーズずつ学校紹介文を叫び、最後に、「明るく元気な楽しい学校でーす」と終えるや、皆で「ワアーッ」と両手を振る。その日は二校が訪れたらしく、どちらもそろって同じパターンだった。
ふと違和感がよぎり、フランス帰りの知人がヨガ教室のあいさつで体験したあの「奇異な感覚」というものと重なった。
「彼らは本当に楽しいのだろうか」、「両手を振りながらのワアーッは心からの歓声なのだろうか」。むしろテレビ局を興味深く見学する自然な子供達の姿を映して欲しかった。
*外からの視点*
その知人が感じたものは時を隔てて見えた生活環境の違いへの戸惑いだろう。一方、テレビを見て私が感じた違和感も、自分自身年齢とともに遠ざかって今に直面した現在の小学生に対する反応だ。いずれも外部の視点に一度立って見えた客観と言えるのではないだろうか。
*集団力*
私たちは集団としての方向性が定められると一路邁進する傾向がある。定められた方向性が当然なものと考え、その方向から少しでもずれると異質な感覚を抱くことにもなり得る。小さな単位では友人仲間、近所付き合いから、大きな単位では戦時中の軍隊、宗教、流行など、例をあげればきりがない。
他方、集団の力はスポーツや災害時の対応などでは必要不可欠なものだ。そこではゲームにおける勝利、安全場所への避難、人命救助などが最大の目標となる。この目標に向けて日々の準備が重ねられるのだが、わずかな加減で鍛錬が暴力へ、協調が排除に走る。
*適応において大切なもの*
「郷に入りては郷に従え」と言われるように、私たちはその場の状況に自らを微妙に適応させて生きている。その際陥りがちな危険性は、団結力が過ぎて集団が丸ごと正道からはずれても気付かなかったり、少数派の慧眼が疎外されたりすることである。注意を要するのは、大きなうねりの中にいると周りが見えにくくなることだ。世の波に流されながらも、客観視できる心の余裕を失わないようにしたい。
(「仙台経済界」2009年11-12月号掲載)
